この文章の概要
注:この文章における「勉強」は学問においての知識を詰め込むことをさします。例えば物理の公式を、その成り立ちを
無視しそのまま詰め込むことetc...
当サイトはインターネット上でも化学が学習できることを目的に作られているわけですが、
このようなサイトが増え、そして質においても良くなって行くとしたら、今の教育構造を変えるだけの
力は十二分に持っているように思われます。もっとも現在のインターネット普及率では話にならないけれど。
今話題となっているオープンソースのLinuxだが、そのLinuxを
無料で誰でも学習できるページに置き換えて考えてみるとわかりやすいと思う。
日本全国どこにいても学習における知恵、テクニックを日本全国からすぐにでも集め、利用することが可能となる。
また、一度、ある学習内容をデジタル化してしまえば、極端過ぎるが、教師や講師が何回も何回も同じような授業を
繰り返す必要はなくなるのだ。参考書でも同じ事が言える。だが、参考書はお金がかかってしまう。
それに、今の学校では先生との相性がかなり大きな影響を与えているように思う。
嫌な先生にあたってしまうと、それこそ一年間無駄にしかねない。その点においてはネットではそのようなトラブルはない。
ネット上に同じ科目のページがいくつもあり当然内容が違うわけだが、どちらが自分によりあっているか取捨選択することができる。
このように同じ科目においていくつかの学習方法を作り出すことは、今の学校制度ではとても対応しきれる問題ではない。
確かに人と人が向き合ってこそできる勉強ももちろんあるだろう。
しかし、現在の教育では常に人と人が向き合って授業が進められているわけではないからこれに関しては
そう問題にならないだろう。ただ、やはり実際に直に人から教えてもらった方が良いこともある。
だから、ネットにおける教育の全てが良いと言っているわけではない。
また、勉強するための活力を生むのは必要性ということもあるだろうがやはり興味が一番大きな影響がある
と思う。ネットではそれぞれの単元にリンクが張り巡らされているから、どの単元からはじめても勉強できる
はずだ。つまり自分の興味があるところから、好きな単元から勉強できるのだ。
だから、自分の興味が無いところは飛ばすことが出来るから、その科目を嫌いになることは少なくなるはずだ。
興味が無くともいづれその単元を勉強する必要性が出てくるだろうからその時に勉強すれば、より効率的に楽しく
勉強できる。
学校における学習をネットが担うことになると学校はどうなるのだろうか?
中には学校は勉強をするだけのところではないと言う人もいるだろうが、お世辞にも今の学校で
勉強以外の事、例えば心の教育がなされているとはとても言えまい。
だから、ますます現行の学校の必要性が薄れてしまい、学校制度の変更は余儀なくされ、
また、その変更される速度も速くなるだろう。
既存の塾もまた勉強を教えるだけでは生き残れなくなって
しまうかもしれない。今でこそ、あまり本格的な受験に関する無料ページは無いが、もしできたとしたら
その塾の存在価値は薄れてしまう。現在の塾を作り出したのは受験そのものであるが・・・。
これらの点からある意味ネットは空間と時間を超えたと考えることもできる。
ここで勉強を教える者、つまり教師や学校などの存在意義が問われることとなる。
インターネットを用いれば、学校で勉強する必要が無くなる、そこまで極端にならずとも、その必要が少なくなると
すれば教師、あるいは既存の塾の必要性が薄れてしまうのではないだろうか。また、必然的に今より高品質な教育を提供できなければならない。
Linuxが多くのコンピュータ会社を動かしたように、ネットにおける教育ページの充実は
現行の教育を変えてしまうかもしれない。学校に行くのは勉強をしに行くのではなく、また、学校へ行くのも
週に二日や三日になる日が来るのかもしれない。
だがネットにおける教育は良い点ばかりではない。例えば化学では、ネットで得られるものは
あくまで知識であり、実験ができたり、何かとじかに触れ合えたりできるわけではなく、
現在批判されている知識偏重教育となんら変わらない結果を生むかもしれない。
しかも、同年代の人と顔をあわせて交流する場を失ってしまうことにもなる。
また、相手の顔も何もわからずあくまで文字だけの世界なので、現実における人との付き合い方など
支障が出る可能性は大いにあり得る。
そして、ネット環境を持たない人との教育機会の不平等を生んでしまうかもしれない。
早足でネットの教育への影響を書いてきたが、
どのみちネットがあろうとなかろうと現行の教育制度には歪みが溜まり過ぎており、
どうにもならない状態になってしまっている。その解決方法の一つにネットにおける教育が
あるだけで、ここではその可能性のほんの一部分を示したに過ぎない。
それぞれの短所だけを責めるのではなく、それぞれの長所を探し出し、
いろいろな教育方法の良いところをあわせ、また、教育を多様化させることで
変化の激しい社会に適応できる教育をなせるよう考えていく必要がある。
そうしなければ日本の将来は無いような気もする。