本書の目標は、「どうすれば勉強ができるようになるのか」という問いに答えることです。 これに似た問いに「勉強に意味はあるのか」というものがあり、ほとんどの人が1度はこの二つ問いをしたことがあるはずです。 ほとんどの人が疑問に思っているにも関わらずこの二つの問いに対する完璧な答えを持っている人はいません。 それゆえ子供が周りの大人に、この二つの質問をしてもしっかりと答えられる人は希です。
しかし周りの大人が答えられないからと言って、勉強に意味がないわけでも、勉強ができるようになる方法が 無いわけでもありません。この二つの問いに対する万人に通用する完璧な答えこそありませんが、 多くの大人はそれぞれ自分なりの答えを持っています。つまり人それぞれ答えは違うということです。 だから大人はこの二つの質問をされると困ります。 「自分はこういう風に解決してきたが、それが子供にも使えるかどうかは分からない。 適当なことも言えないし、言いたいことはたくさんあるけど、何から言って良いか分からない。 さぁー困ったぞ。」というように。
勉強ができるようになる方法や勉強の意味は人それぞれ違います。 例えば、何も考えずに、そのままやればできるという人もいるでしょう。 勉強は必要だから苦しくてとにかく努力するしかないという人もいるでしょう。 また勉強の必要性が分からないから、勉強はできなくとも良いと結論を出す人もいることでしょう。
このように答えが一つに決まらないのは1人1人の人生が全て違うように、勉強ができるようになる方法も人それぞれ 違うからです。一人一人能力や性格が違うのだから、勉強ができるようになる方法も違うのは極めて当然のことです。 学校や塾では知識は教えられますが、どうすれば勉強ができるようになるかはなかなか 教えることができません。
そして、そもそも勉強とは何なのでしょうか。できなければならないものでしょうか。 もちろん勉強だけが全てではありません。しかし、ただ一つ言えることは勉強ができて損をすることはないということです。 それに加えて勉強で得られるものは単なる知識だけではなく、実に様々なものがあります。 例えば、勉強を通して自分がどういう人間なのか、どう生きていくのかなど精神的な面においても成長することができます。 決して勉強は学校でしか使えないつまらないものではなく、応用の場面はどこにでもあります。
勉強は応用範囲が広く、精神的なことにも関わっています。 勉強の応用範囲が広いということは反対に考えれば、勉強以外のことをやっていても勉強と繋がりがあるということです。 そして精神的な事と関わるということは自分で考えなければならないということも意味しています。 自分がどういう人間であるかは自分で考えるしかないからです。 自分がどのような性格で、どのような価値観を持っており、どう生きて、どう死にたいかは他人に決めてもらうことではなく、 迷いながらでも自分の力で探り考えていくしかありません。
本書では、「どうすれば勉強ができるようになるのか」という問いに答えるために、 勉強の必要性とは、人間とはどういう生き物か、自分とはどういう人間か、勉強法にはどのようなものがあるのか など様々な観点から勉強を見つめ直し、勉強ができるようになる道を探ります。 また本書の対象としては主に中学生から高校生を考えています。
ただし本書は筆者自身が実際に考えたり行動したことであって、誰にでもそのまま通用するものではありません。 本書は勉強法のほんの一例に過ぎません。 しかし勉強について他人がどう考えているのか聞く機会はほとんどないので、 本書を通して勉強について考え、少しでも得るものがあり、その結果として少しでも成長できれば 私にとってこれほどうれしいことはありません。