問題提起と誰が解決するのか
まず問題提起として、「どうすれば勉強ができるようになるのか」という事をあげる。この問題は多くの人に常に付きまとっている問題で、これを解決する必要がある。今後はこれを解決するために考えたことや実践したことなどを書いていこうと思う。
初めに考えなければならないのは、どの立場に立って解決法を考えるのかというのが重要になってくる。考えられる立場としては、学校、親、地域、行政、そして学習者本人があるだろう。これらのどの立場で考えるのがもっとも効果的だろうか。私は学習者本人の立場で考えるのが最も効果的であると考える。
その理由は、学習者の周りの環境は様々なものがあり、それらを考慮に入れるというのはほとんど不可能に近いからだ。それに学校や親、地域を変えようと思ってもすぐに変わるものではない。そして、学校や地域と言った大規模なスケールで考えるとどうしても対処療法的な解決法となってしまう恐れがある。人間はみなそれぞれ違うわけだから一律的にこれが正解であるというものを見つけるのは難しいだろう。もちろん学校の改善方法を考えるのが無意味だと言っているわけではない。ただこうして一般の人がいくら考えても、これらスケールの大きなことはそう簡単に変えられるものではない。
代表的な教育機関である学校が変わってくれるのが一番楽なのだが、今現在学校に通っている人にとってはそんな悠長な事は言ってられない。今すぐに学校が変わらないのなら意味がない。卒業した後で変わっても後の祭りだ。もちろん既に学校をより良い物に人いこうとする人を否定するつもりはない。今すぐは無理でも徐々にでも素晴らしい学校やカリキュラムを作っていって欲しいと思う。しかし例え、どのような学校でも、親がどんなであっても、周りに教えてくれるような人がいないとしても、自分が勉強ができるようになることを諦めることはできない。どんな環境においても役に立つのは、自分自身の考え方や意思の持ちようだけだ。こう考えれば必然的に、改善すべきところは親でも学校でも行政でもない、自分自身だという結論に達する。
学習する方(例えば生徒)の立場から言えば、学校や親、地域、行政といった「他人」が自分を効果的に教育してくれるのが一番楽だ。私が今まで出会った人の中では、「誰かが教育してくれるのは当たり前だ。自分が勉強が分からないのは学校の先生の責任だ。」と平気で言う人がいる。しかしそういう人に限って自分では何もやろうとしない、そして勉強もできない。結果的に損をしているのが自分だということに気づいていない。敢えて損をしたいと言うなら構わないが、どんな状況になってもそれなりにやっていくためには自分自身で問題を解決していかなければならない。そのためこれ以降は、学習者の視点に立ち、どうすれば自分自身で勉強ができるようになっていくのかを考えていこうと思う。
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