けるんずるーむ

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疑似体験としての「夢」

はだしのゲンの話題を書いたので、ついでに戦争について考えようと思います。少し前にある学校の入試の問題で、戦争体験者の話は退屈だったというようなものがありました。しかし、このような意見は一般的には認められていません。戦争を扱うときは常に、戦争は悲惨だった、悲しい、二度としてはならないという教科書的な意見が求められ、それ以外は叩かれます。けれどもこのように一方的な思想を押しつけることこそが戦争に対する思考を硬直させている元凶だと私は思います。

教科書的な結論は最終的に辿り着くべき目標であって、そこに辿り着く過程には様々なことがあるはずです。それを抜きに最終結論に辿り着くことは難しいのではないでしょうか。特に戦争を経験したことがなければなおさらのことでしょう。具体的にイメージできないから戦争の愚かさや悲惨さ、無意味さが分からない。これを解決するためには戦争の疑似体験しか方法はないでしょう。

ここで疑似体験と言っていますが、もちろん本当の体験に勝るものがないのは言うまでもありせまん。しかし戦争を経験してしまっては元も子もありません。従って疑似体験しか有り得ません。例えば、放射能の影響で髪が抜けるという症状がありますが、若い人は実際に経験することは希でしょう。私は不運にも禿げたことがあるのでなかなかに苦しいことなのが分かるのですが。他にも肉親の死なども経験しないことはありませんが、みんな経験するという訳にはいきません。これらを疑似体験する方法が少なくとも一つあります。

このような疑似体験するには夢(夜に見る方)という方法があります。私のようにイメージ力、感受性の低い人であっても、夢の中の出来事は実感を伴って経験することができます。みなさんも恐い夢や幸せな夢のような感情を伴った夢を必ず見たことがあるはずです。夢の中で戦争を追体験できれば、そこには感情を伴った戦争経験が残ります。夢は覚醒時のイメージ力、想像力が乏しい人にも有効なツールです。

私は今までに何度も何度も原爆の夢を見ました。これを以て被爆者と同じ経験をしたとはとても言えませんが、少なくも感情を伴った経験として原爆を捉えることができます。夢の中であっても、自分の髪の毛が抜け落ち、ウジが湧き、放射線の後遺症に恐れ怯え、そして苦しみ、悶えながら死んでいくという経験は衝撃があります。また圧倒的な武力を行使され、ゴミのように殺されていく感覚や、自分の親や友人、愛する人が殺されるという経験を同時にするのも夢でしかあって欲しくありません。夢から醒めて、何度今のが夢で良かったと思ったことでしょうか。これを現実にしてはいけない、そう強く思わせるだけの経験を夢は与えてくれます。

このような戦争の疑似体験をすると、最初に書いた戦争体験者の話は退屈だということは言えなくなります。しかし反対に、こういう経験をしていなければあんなことを言っても不思議ではありません。だから戦争体験者の話は真摯に聞かなければならないという思想を一方的に強制するのではなく、どうすれば戦争経験をもっと身近に自分のことのように感じることができるかを考える必要があります。そしてこれを解決する方法の一つとして夢があると思います。

蛇足ですが・・・夢は覚醒時の想像力の無さを補う有効な方法だと思いますが、偶然に夢の中で戦争を体験するというのは難しいです(少なくとも私はそうでした)。普段からある程度夢を意識しておく必要があるので、多少の意識改革が必要です。けれども1度夢の有効性に気付くと、それは大きな武器になるので決して無駄にはならないと思います。私の場合は夢のおかげで国語がかなり好きになるという良い影響がありました。とにかく利用できるものは利用する、夢さえも。ってところですかね。

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