勉強を人に教えることは、自分が勉強をする上でも非常に役に立ちます。 ここで一つ勘違いしてはいけないのが、勉強を教えることができるのは勉強ができる頭の良い人だけではないということです。 自分の知っていることを誰かに教えることは誰にでもできます。 クラスの友達でも、自分の兄弟姉妹にでも、親にでも誰にでも良いので自分の知っていることを教えて あげてください。
今まで教えてもらったことしかない人は、教える側の立場に立つと様々なものが見えてきます。 9.3節で詳しく述べますが、考え方の基準をずらすことによって様々なことに気付くことができます。 そのため教えてもらう立場だけでなく、教える立場に立てば様々なことが見えてきます。
例えば、なぜ教科書は分かりにくいのか。なぜ先生の話は分かりにくいのか。なぜ自分は勉強ができないのかなどです。 例えば、自分で教科書を作ってみれば学校の教科書の良い点と悪い点が見えてきます。 例えば、誰かに勉強を教えてみれば個人個人の理解の方法があって、多くの人に同時に教えるのがいかに難しいのか分かります。 また勉強できない人に教えることは、その原因を探ることでもあります。 その人がなぜ勉強できないのかを考えるとき、それを反面教師的に自分が勉強するときに応用できます。 そして自分が教えていたら、教えられる側にはもっとこうして欲しいという要求ができてきます。 これは反対に自分が教えられる側になったときにすべき行動で、人に教えてこうして欲しい、ああして欲しいと 思ったことは自分で実行すべきことなのです。こうして教える立場にありながら、どう教えられれば良いかという ことが分かり、自分の普段の勉強にも生かすことができます。
人に教えていると、自分の知識が完全でないことに気付いたり、人によって同じ問題でも解き方や考え方が違ったりするので教えている方にとっても新しい発見があります。 そして人に教えるためにはもっと理解する必要があるから勉強を頑張ろうと思うことさえできるかもしれません。 自分のための勉強ではなく、誰かのためにやる勉強は身が入ります。
誰かのためにやる勉強にはなぜ身が入るかと言うと、これは勉強に限った話ではありませんが、 「人は他人のためになら頑張れることがある」からです。 親が仕事も家事も頑張れるのは子供のためだからです。教師が頑張るのも生徒という他人のためだからです。 そしてボランティアであっても人のためだから頑張れるのです。 人間は1人で生きていく生き物ではありません。人に喜ばれれば嬉しいし、そこに生きる意味さえ見いだすことができます。 こうして人のために頑張った結果、自分も成長することができるのが人に教えることの効果です。
人に教えるということは、他人の力を借りて自分を成長させていると考えられますが、人に教える以外にも他の人の力 を借りることができます。例えば友達などと競い合うこともこれの一種です。 誰かと本気で競うと自分の平常状態以上の力を発揮することができる場合があります。
競うことによっていつも以上の力が出せる理由はいくつかあると思います。まずは競争相手に勝つという目標ができるのが 大きいでしょう。そして勝つためには堪え忍ぶことも必要で、相手に勝ちたい、負けたくないという思いが、 それを乗り越える原動力になります。1人では諦めてしまいそうなときでも、相手も苦しいはずだ、相手も頑張っていると思えば、自分も頑張ることができます。
また競争したり、勝負をしたりしないまでも一緒に勉強することも効果的です。お互いに励まし合えば、1人では到底できないほど勉強できることもあります。人間は1人では弱いかもしれませんが、誰かと一緒なら頑張れることは良くあります。 相手の都合もあるので、いつでも誰かと一緒に勉強できるとは限りませんが、 一緒に勉強をしたり、競える相手、ライバルがいたりすればお互いにより高いレベルまで行くことできます。