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9.3 人間の性質〜物事の感じ方〜

次に勉強の助けになるものとして人間の性質、特に物事の感じ方について考えてみようと思います。 例えば勉強でもストレスを感じる人、感じない人がいますが、その違いはなんでしょうか。 この理由が分かることは、勉強時のストレスを軽減することにもつながるので非常に重要です。

まず人間は物事をどのように感じているのでしょうか。それは一言で言えば「個人の判断基準や価値観、立場による。」です。 分かりやすくテストに関わる例題を挙げてみます。 テスト前のよく交わされる会話に「勉強した?」「全然していない。」 というような会話を1度はしたことや聞いたことがあると思います。

この会話において、勉強していないと答えた人がテストで高得点、例えば90点以上を取ることは良くあることです。 これに対してテストで普段から60点ぐらいの人は、「なぜ90点も取っているのに、勉強していないと言うんだ。そんなわけないだろ。」 と言います。この二人の感じ方の差はどこから来るのでしょうか。

それは二人の目標、判断基準が違うからです。 テストで60点が基準の人は60点取れればそれで良いと判断するのだから、90点も取れれば90点に満足します。 だから90点も取るなら当然勉強していると判断します。 反対に100点が基準の人は90点では満足できないのです。だから勉強していないと判断します。 勉強したかどうかという感じは個人の感覚や価値観に強く関係しており、 基準が違えば下される判断も当然異なります。 つまり人間は常に自分の持っている基準を元にして物事を判断しています。

ここからとても重要なことが分かります。 それは、「自分の中に存在する価値観や基準によって物事が良いか悪いか、楽しいか苦しいか、幸せか不幸か判断しているのだから、 物事をどう感じるかは自分次第である」ということです。 例えば精神的に苦しいとしても、それは自分の中の基準や価値観を変えれば、それは和らぐかもしれないということです。 もしかすると今苦しいと感じていることを楽しいとさえ感じるかもしれません。 つまり絶対的な苦しさや楽しさが存在しているのではなく、自分がそうだと感じているに過ぎないのです。 今の自分が感じていることは絶対的ではなく、それは変えられるかもしれないということです。

それではこの価値観や判断基準をどのように持てば、勉強に効果あるのでしょうか。 実は既に3.4節でその一例を示しています。 勉強は面白くもないし、しなくても良いというのが自分の基準であれば勉強なんてできるわけがありません。 勉強をするために自分の中の基準を「勉強はするものだ。」というように変える必要があります。 そうすれば勉強を受け入れることができ、勉強時に受けるストレスは軽減され、勉強に対して前向きに なることができます。

他にも例を挙げれば、よく勉強ができない原因を学校の先生のせいにする人がいますが、そういう人にとっての基準は、 「勉強は誰かが教えてくれるもの」です。だから勉強が理解できなければ、先生が悪いとストレスを溜めることに なります。あの先生、教え方がヘタ、ムカツクなどと言ったことがある人はこの傾向があるかもしれません。 またこういう人の中に見られるのが「先生は普通の人より優れている」という基準を持っている人です。 なぜかは分かりませんが、先生だから私のことを何とかしてくれる、という考え方を持っています。

このような基準を持っている限りは勉強ができるようになりにくく、反対に多くのストレスをため込むことになります。 この場合は「先生も普通の人間だ。」、「勉強は自分でするものだ。」ということを基準にすればずいぶんストレスは和らぎます。 先生も普通の先生だから全ての人が理解できるようにするのはちょっと無理があるかな。だから後は自分でやるかな、 と無駄なストレスを感じることなく勉強に向けて前に進むことができます。 また無駄なストレスを感じなくなるだけでなく、良い先生に出会えた時その喜びは図り知れません。 先生はそこまで頼りにならないというのが基準なのだから、頼りになる先生が現れればそれは最高に良いことのように感じるでしょう。

もちろんこのような基準を持つことが絶対に正しいわけではありません。 あくまで一例であって、異なる基準を持つことを否定しません。 どのような基準を持つか、それは個々人の自由です。 しかし本書の目標は「できるだけ楽をして勉強ができるようになる」ことであり、どのような価値観や基準でも良いわけでは ありません。目標を達成できるような基準でなければなりません。 自分自身の価値観や基準が良いか悪いか判断するのは、この目標を達成できるかどうかによります。 目標達成に都合良く、そして精神的に落ち着けるような基準を選ぶことが必要です。

勉強では技術的な部分ばかりが注目されますが、精神的な部分も変えた方がより良い場合も多くあります。 自分の目標を達成できるように自分自身の価値観や基準を変えていくことは大変重要です。 そして自分の価値観や基準をどうもつかというのは勉強に限った話ではなく、どのように人生を生きていくかにも関わって いきます。

仏教には一切皆苦という思想がありますが、これは今まで話してきたことと関連があります。 一切皆苦とはこの世のあらゆるものは苦しみであるという考え方です。 これは極端な例ですが、もしこれを自分の基準にすることができれば一切の苦しみはなくなります。 なぜならば、この世の全ては苦しみであることが基準になるからです。 苦しいことは当然であり、それが普通になるのです。 だから些細なことでも誰かが自分のためにしてくれればそれを嬉しく感じることができます。 つまり全ての苦しさを受け入れることは、全てのことへ感謝することへの第一歩でもあります。 もちろんここまで悟れるかどうかは別にして、程度の差はありますが自分の基準をどこに持ってくるかというのは より良く生きるためには重要なことです。

これまで自分の価値観や基準を目標に合わせて変えることは重要であることを見てきましたが、 そもそもそれらはどうやって作っていくものなのでしょうか。 それは自分の性格や目標をより深く考える過程で作ることができます。 そして基準は、今までの自分の経験にも強く依存します。

例えば、勉強の時間数について考えてみます。 もし今までに連続6時間しか勉強したことがない人なら、それがその人の勉強時間に関する基準となります。 同じように一週間毎日10時間ずつしたことがある人では、それが基準となります。 ここで4日間毎日8時間勉強したとします。 前者にとってこの時間は未体験な勉強時間であり、相当な苦痛を伴うかもしれません。 それに対して後者にとっては今までにもやったことがあるので前者よりも苦痛は断然少ないはずです。 このようにすればするほど、苦しめば苦しむほど自分の中での基準が引き上げられ、日常の少々の事に苦しさに耐える力が 身に付きます。だから一見大変そうに思えることもやり続けることは無意味ではありません。


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