前節の日記の話の中で夢が出てきたので、その夢の話をもう少し詳しくしようと思います。 普通夢と聞くと、将来の夢の方ですが、この節での夢とは寝ているときに見る方の夢です。 多くの人が毎日何気なく見ている夢ですが、その夢でさえ考え方によっては勉強に応用できるのです。
どのような夢を見るかは人によって異なるので、夢の効果も人によって違いますが、少なくとも筆者の見る夢は 起きているときの想像力を遙かに超えます。起きているときはどれだけ具体的に色や形や感情をイメージ、 シミュレーションをしようとしても限界があります。しかし夢ではそれをいとも簡単にやってくれます。 夢では自分の感情がそのまま生きており、なおかつ非現実な世界を体験できるのです。 そして夢の中では、自分の視点が様々に変わります。現実では、自分を後ろから見たり、客観的に上から眺めたりすることはまずないでしょう。夢の中では、まさに自分が映画の主人公になったかのように夢のストーリー が進んでいきます。
また夢で見る内容は、良くも悪くも現実とどこか接点があります。そして現実ではありえないことも起きます。 現実ではあって欲しくないことも見ます。代表例として戦争であったり、自分が殺したり、殺されたり、あるいは罪を犯すことです。 その反対に良いこともたくさん見ることができます。
このように夢というのは現実とは違う角度からものごとを見せてくれます。それが夢の一番大きな効果なのです。 9.3節で基準をずらすことが大切だと言いましたが、まさに夢はこれを体験する大切な場です。 本来ならありえないことを夢で、かなりの実感を持って体験できます。
この実感を持ってものごとを体験できることが直接勉強に役に立つ一例を出せば、詩的なものを感じるときに 利用できるでしょう。例えば詩の中に「赤」という言葉がでてきたとします。赤から多くのことを イメージできる方が詩の理解の助けとなります。日記に夢の内容を書くという動作は、自分の見たイメージを 言葉に変換するという作業でもあります。これを繰り返すと、言葉とそのイメージが密接に関わることに 気付きます。同じ赤でも本当にいろいろな赤があります。もちろんこんなことは現実世界でも分かっている人は分かって いますが、筆者のように分かっていない人もいると思います。そういう人には夢が果たすことのできる役割は 大きいと言えます。
またもう一つ面白いことは、筆者の場合、夢の中ではうまく走れません。歩くこともときどきままならない 夢を見ます。その理由はおそらく歩くことや走ることを意識してやったことがないからです。 夢の中で、いざ歩いてみよう、走ってみようと思うとどうやって良いのかわかりません。 歩くという当たり前のことでさえ本当は難しいということに気付かされます。
これは現在の科学技術を持ってしてもスムーズに歩けるロボットを創り出せないことと結びつけ考えられる でしょう。やはり人間にとって当たり前の行為であってもそれは実は大変難しいことだということに 気付かされます。日常的に行っている当たり前のことを、ちょっと変わった視点から見ることができ新鮮な発見がある。 これも夢の面白くて、勉強に応用できる一面です。