勉強と心の持ちよう
今日は勉強の精神面について考えていきたいと思う。勉強というと読んで字の如く、強いて(しいて)勉める(つとめる)というように強制的な印象を受けてしまう。また、どうすれば勉強すれば良いかと教師にでも聞けば、努力しなさいという。努力という言葉自体に、嫌いなことを嫌々するという意味はないのだが、勉強と努力が結びつくと、努力するという言葉の中にも、嫌々苦しみながらするというイメージができてしまう。ここでは勉強にも努力にも嫌々するというイメージを持つ事を前提に話を進める。
勉強をするとき努力は必要だろうか。このような努力は少なくとも普段の勉強でする必要はない。なぜなら、そもそも嫌なことを持続的にできるわけがない。スポーツや自分の趣味など長く続けられるものは一見すると苦しいときもあるかもしれないが、どこかに楽しみや達成感が必ずある。楽しみも達成感も無く、苦しいことをやり続けることは人間には不可能だろう。そういう意味で努力など持続的にできるものではない。
だから努力する、つまり嫌々、苦しみながら勉強したくない。けれども勉強ができるようにならなければならない。この二つを同時に満たすために残された道は、勉強を嫌いにならないということしかない。一番良いのは勉強を好きになることだ。勉強が好きであれば心底、嫌がりながら勉強することは一切なくなる。そして勉強を好きになって勉強をすることは、勉強が嫌いな人から見れば努力しているように見えるが、勉強好きの本人からすれば、それはもう努力ではないのだ。
そもそも勉強が好きになる(嫌いにならない)というのが難しいと思うかもしれないが、難しいことではない。勉強が少なくとも嫌いにならない上で重要なのは、拒絶しないことだ。これは何も勉強だけに限ったことではない。食べ物でも対人関係でも他のことでもそうだ。人間には適応力がある。だから拒絶しない限りは好きになる可能性がある。誰でも今まで嫌いだったものが食べられるようになったという経験があるはずだ。
このような経験が無い人は是非、嫌いなものを食べられるようになるのをお勧めする。嫌いなものでも、我慢して食べるのでは無く、おいしいはずだと思いながら一週間ぐらい食べ続ければだんだん慣れてくる。大切なのは、拒絶せず受け入れ、慣れること。ただそれだけ。
拒絶しないということは難しいかもしれないがよく考えてみて欲しい。拒絶しないということは嫌なことが無くなるということだ。拒絶し続ける人生と、拒絶しない人生はどちらが楽だろう。もちろん絶対受け入れてはいけないものもあるが、自分に都合良く受け入れた方が得なものはさっさと受け入れてしまった方が楽なのは間違いない。
このように勉強をするのに都合が良いように考えていくことは一見すると大変かもしれないが、最終的には一番楽な方法だろう。今後とも勉強を楽に進めていくにはこのように考えられる事が前提となる。まずは拒絶しない。これが大切だ
もっともこれは私がそう思っているだけで、他の思考方法で、「苦しみながら勉強したくない。けれども勉強ができるようにならなければならない。」が解決できれば何の問題もない。要は勉強できるようになれば良いのだから方法にはこだわらない。とにかくできるようになれば良いのだ!
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