勉強の意義(概論)
そもそも勉強とは何なのか。勉強はしなければならないものなのか。この問題に「正確」に答える事は容易ではない。勉強の必要性は人の数ほどある、つまりこの問題について正確に答えようとするならば、日本人だけでも約1億3000万通りの答えが必要となる。
例えば、中学生の段階でこの問題に突き当たったとしよう。 中学生で自分の将来の全てが分かっていることなんてほとんどあり得ないので、どのような知識が確実に役に立つか分からない。しかし、その知識が確実に使えるかどうか分からないのと同様に、使えないかどうかも断定できない。 だから勉強は将来役に立つからしなければならないという理論が成り立たないのと同様に、勉強は将来役に立たないから 勉強しなくても良いという理論は成り立たない。では、勉強にはどのような意味があり、なぜするのだろうか。
まずは勉強とは何かを考えていきたいと思う。勉強は何のためにするのか。 テストで点数を取るため、高校、大学に入るため、義務だから。本当にそうだろうか。
勉強には大きく分けて3つの側面がある。思想的なものと、知識的なもの、そして技術的なもの。 思想的なものの例を挙げれば、自分はどこから来て、どこへ行くのか。 どう生きていけば良いのか。どう考えれば良いのか。今の自分が完璧であれば、勉強はいらない。 しかし満たされない何かがあるのならば、それを解決するための方策を考える上で応用が可能だ。
知識的な側面は説明するまでも無いだろう。有史以来、人類が積み上げてきた知識を伝承し、 将来に伝えることも重要である。そして何よりも自分自身がより良く生きるために知識は必要である。
最後に勉強をする上で欠かすことができないのが技術的な側面だ。これはスポーツと似ている。 例えば、九九が良い例だ。自然数のかけ算であれば、かけ算を学ぶ必要はなく、足し算だけで計算できる。 しかしかけ算を学び、それを反復練習することによって暗記すれば非常に効率が良いということは多くの人が 実感していることだろう。スポーツでも、ある動作を反復練習することによって、思考することなく 即座に対応できるようにする。こうすれば飛躍的に効率が高くなるのだ。いちいち考えていては間に合わない。
また技術的な側面として忘れてはならないのが、新しいもの獲得する能力という側面だ。 例えば、社会科のテストで点数を取るためにはその知識が必要か不必要に関わらず大量の知識を覚えなければ ならない。一見するとこの暗記は無意味に思えるかもしれないが、大量の知識を覚えるという技術の練習になる。 この物事を覚えるという技術は社会科でしか使えないだろうか。他の多くの場面で役に立つことは言うまでもないだろう。 そういう意味では古典などの暗記も決して無駄ではなく、他の新しい分野で物事を覚えるときに応用できる。
このように勉強にはじっくり考える必要のある思想的な部分、生きていく知恵となる知識、そして作業を 効率良く進めるための技術的な側面がある。これらの分野を突き詰めていくことで人間としてより成長していける。
これらを突き詰めて成長していくことが目的であり、その手段として勉強がある。目的を達成しさえすれば良いのだから、 勉強以外の方法で達成できるのならそうすれば良い。しかし、代替手法がないのであれば勉強をしておけば良いというのが結論である。
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